ひそめる

 

1週間に渡るホームシックから解放された。

 

昼夜逆転が治ったと思っていたのに、一日にしてまたも逆転してしまった。が、日常に戻ってきた感じがするな、

 

 

道内ツアーなるものに行っていました。

 

小さい頃から観て聴いていた、ANIEKY A GO GO!(通称アニキさん)と、バイオリンでもお世話になっている鈴木 裕さん。

私が小学生の時からの付き合いだから とか、私の両親を知っているから とかじゃなくて、CDを聴いて、アーティストとして今回のツアーのO.A.をさせてくださったみたいだ。

正直、ものすごく嬉しかった。有難かった。

 

今回のツアーで、学んだことがたくさんある。

ステージ上でのこと、人との接し方、自分との向き合い方、本当に たくさん だ。

 

彼等は、所謂ツアーミュージシャンで、テレビに出たり武道館に立ったり、そういうメジャーな人たちではない。

だけど、本当に本当に素敵なミュージシャンだ、アーティストだ。

音楽が大好きで、大好きだからこそ、自分に合ったやり方で音楽を続けている。かっこいい。

アンダーグラウンドな世界にも、こんなに最高なミュージシャンがいるんだ、知ってほしい。

小さい頃からこの人たちの曲を歌を聴いてきたから、いまの自分の音楽があると思う。

自分の音楽、だなんておこがましいけれど。

 

でも、私が目指す所はそこではなくて。

やっぱり、もっと、真ん中にいきたい。

 

 

私が私じゃなきゃ駄目な理由をずっとずっと探している。

これからも、ずっと探し続けて行くべきだと思うし、それを表現したいと思っている。

 

自分の力で だけじゃ無理な世界だけれど、周りの人がどうとか、私に付属するなにか、というか、何かに付属している私 としてだけで好きになられたくはないな。

という、我儘です。

付属品から脱するには自分の力が必要なんだよな、

 

 

余裕なんてない。

大人がついてるわけでもない、完全に自営業。

もっと前からやってれば、なんて死ぬほど思った。

だけど、寄り道して、選択をして、今のこの環境だから、このタイミングだからこそ出会えた人たちがいる。

きっと間違ってない、

 

 

音楽をする上での課題とか目標なんてのはやまほどあって、まあ、そんなことはここに書くアレではないのでアレですが、

とどのつまり、周りも自分も納得する形で一生音楽を続けるし、今想像している未来を超えていくし、正直に生きていきます。

 

 

もう外が明るい、夏が近い。

こんな日記を最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

おやすみ、

もとめる

 

曲を作っているときは死ぬほど孤独だけど死なないから好きです。

 

 

有難いことに、Twitterのフォロワーさんが1000人超えまして、とても嬉しい。

(めちゃくちゃに夢見がち発言をすると、今年中に1万人超えたいな…?)

 

このブログは、引くほど言葉を繕ってるけど割と気持ち的なことを綴ろうと思ってやっています。曖昧だなあ、

 

私の事を知ってくれている人が少し増えて、なんとなく前よりも恥ずかしくて中々ブログを書けずにいたけど、いやいや、失恋ソングとか歌ってSNSに投稿してんだもん、恥ずかしいことしっぱなしじゃん。と、なりました。

それが好きでやってるんだけどね、

 

語尾に 、を付けるのはムロツヨシの真似です、

 

 

4月だ。

 

去年の4月よりも、格段に好きな事をして生きているなあ。

人生の中で、なんて大袈裟すぎますが、人生の中で一番好きな事をして生きてる4月だなあ、という感じです。

そしてこれは全然義務じゃない、好きでやってる事。だから尚更、ヘラヘラしてらんないなあ、って思います。

 

 

言葉って難しくて、不思議で、自分の言葉ですら上手く操れなかったりする。

たった2文字で喜んだり傷付いたりするし、最近はなんだか、ある意味でとてつもなく恐ろしいもののように感じる。

 

そんな恐ろしいものを使って曲を作って歌って、それが好きでやってる、これを好きって言ってくれる人もいて、

頑張らなきゃ、やらなきゃ、じゃなくて、頑張りたいし頑張るし、やるし、だ。

 

 

たしか、春は出会いと別れの季節、っていうけど、今年は今のところ別れがないな、幸せなこった。

必要な別れもあるんだって知ったから、別れだって悪くはないけど、やっぱり出会いたい。

 

 

うーん、もう外が明るくなってきたからおしまい、

ふかめる

レコーディングをした、今日と明後日もする。

 

 

エンジニアさんが仰った、歌はやっぱり心だね、って言葉がさっきからずっと離れない。

好きって言ってくれた曲があって、私はちゃんと、心を歌えているのだろうか、と。

心を気持ちを思いを想いを歌うだけが歌ではないと音楽ではないと思うのですけれども。

 

 

友達が増えた。

お互いがお互いを勝手に信用して信頼して好きになって知らないうちに傷つけて傷ついて裏切ったり裏切られたりもするのが、人間関係なんだろうなあ。友情は浅いまま終わるのか深まっていくのか、深めたいと思う人なので楽しみです。

 

友達に順位を付けるのは可笑しな話だけど、自分の中でやっぱり特別な友達っているわけで。

一昨日くらいに 嫌い って曲を作ったんだけど、それをその友達が歌ってくれてめちゃくちゃ嬉しかった。

「よしか 嫌い」ってファイル名だったから愛が若干隠れてたけどな

 

 

なんかもうちょっといろいろ書こうと思ってたけどお腹すいたし眠いしまた今度、

 

最近の日課といえば、寝る前にTwitterでテイストメイドジャパンを見ることです。

 

 

おやすみ

 

かためる

なんとなくみんなが作ってきてたから、なんとなく私も作った方がいいのだろうと思って、なんとなくチョコレートを溶かしたり固めたりしてた2/14、

テスト前なんかよりも夜更かしして、本命よりも大量生産に力を入れてしまうんだよな。

 

学生じゃなくなって、あげる相手もいないしまたしても一瞬ニートなので人に会わないから貰うこともないし、チョコを作るでも買うでも食べるでもなく、

 

バレンタインは企業戦略だ、なんて言い聞かせても、ちょっと寂しくなるもんだな。

 

不特定多数の誰かに向けてそこに大した感情がなくても、不特定多数側は一人ずつなわけで、たぶんそれはそれだけでその人だけの為になっちゃうんだよなあ

 

 

 

なんで女子高生に戻れないんだろう、とか、なんで人生やり直せないんだろう、ってめちゃくちゃ考えるけどめちゃくちゃ考えても戻れないからどうしようもないんだなーって思うんだけど、それでもまた考えるのは、今まで生きてきて起きたことに対する後悔が多過ぎるからなのか、なんとなく戻れる可能性を信じているのか、そんなことを言ってる暇があるなら未来の自分が後悔しないように今を必死で生きるべきなんだろうけども。

 

 

何をしてもなんとなく満たされない気がするのは、満ちるほど何もしてないからだな。

 

 

 

なんとなくよく分からない感じでなんとなく文字をたくさん打ったけど何の生産性もないなあ、と思うのでここで少し有益だと思われることを言いますが

熟したバナナと卵だけでホットケーキが作れるみたいです。

今日起きてバナナが熟れてて且つやる気がでたらやってみようと思います。

 

おやすみ、

とどめる

 

夜中から始める部屋の掃除は大掛かりになりがち。

 

外からたまに車の通る音が聞こえる、低音がよく響く。

夏だったらもう明るい時間だな。

カーテンの隙間から外の灯りが漏れるあの感じが結構好きです。

 

 

気付いたら、1月が終わってた。

 

気付いたら2月も二日目だけど、体重は減らない。

 

 

あー、私、こう見えても色々考えてるんだ。

 

 

なんて、みんな思ってんだろうな。

 

考えることをやめたら終わるから、とりあえず銭湯に行きたい。

 

 

下書きはたくさん溜まってるんだけど、言いたいけど言っちゃ駄目な気がすることがあるから、またゆっくり言葉を選んで書いてみます。

 

私の中で早朝は5:30まで、

 

あやめる

 

タイトルは"○○める"を考えたときにこれしか思い浮かばなかったから。

 

なにもあやめていないはずだが、どうだろうか。

 

 

 

みんなが「良い曲だね」っていうものに苦しめられる人もいるんだなって、自分がそうなってよく分かった。

 

広い世界の人たちのことを考えると、もうなんにも出来ないし言えないし歌えなくなる。

 

自分が大切にしたい人たちを、ちゃんと大事にできればいいのかな。

 

大切にするのもされるのも、きっとすごく単純で難しい。

 

 

そんな感じで、20歳最後の一日が始まった。

 

いや、特になんもないけど!

 

みつめる

午前3時37分、Franを食べながら日記をかいてます。

食生活を見直したいとは思っている。

 

あけましておめでとうございます。

大切な友達から早めの誕生日って貰った、星占いの本を読みました。

 

未来を思うと怖くて前に進めなくなったりすることがあるじゃないですか。

でも、そんな未来に夢を抱いて目標を掲げているわけで。

 

大袈裟じゃなくて、一日一日を大切に生きたい。

と、すごく思います。

 

時間だったり気持ちだったりを犠牲にして、無駄にしなくて良いものすら無駄にしがちだから、もったいないよなあ。

 

等と、自分に言い聞かせております。

 

 

自分が思ってるより、他人は自分に興味がないんだな。

と、なんだか寂しく感じる一方で、他人の人生に首を突っ込んで面白がってくる他人は非常に嫌だ。

僭越ながら、私のことを好きでいてくれて少しでも気にしてくれている人がいることも知っていて。

なんていうか、不思議でとてつもなくありがたい、というお話です。

 

 

私は、言ってしまえばお茶碗のご飯粒をひとつも残さず綺麗に食べるくらいで全然良い子じゃないので、良い子でいたいわけでも良い子だと思われたいわけでもないし、媚を売りたいわけでもないです。

 

このままの私を愛してくれ

どんな私でも私である限り愛してくれ

 

なんて、傲慢なことを思っています。

そんなことを言ってしまっても大丈夫なくらいの人間にならなければいけないし、こんなことは言わない人間でありたいけども。

 

 

2018年、はじまったばっかりだけど残り僅か。

今年もよろしくお願いします。

 

 

 さて、Franもしっかり一箱食べ終わりました。

 

今日はどんな一日にしようか。